6 地いきの発てんにつくした人々

2、竹川竹斎(たけがわちくさい)

射和上池
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池をつくった時の日記 
 右の写真(しゃしん)は、池をつくった時の日記です。

 池ができるまでのことを、表(ひょう)にまとめてみました。

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しゅんくん

上池(かみいけ)ができるまで
1829年 竹斎(ちくさい)が21才の時、村のこまったようすを考え、池をつくる勉強をはじめました。
1837年 竹斎が29才の時、さまざまは話し合いやお金のことが決(き)まり工事がはじまりました。
1838年 竹斎が30才の時、池ができあがり、いわいの会をしました。
この池を「上池」(今の射和池)といいます。
はたらいた人の人数 のべ85750人。
よびかけにおうじて、村中そう出ではたらきました。
かかった日数 およそ500日もかかりました。
大きさ 長さ約(やく)70メートル、高さ約7メートルのていぼうの池ができました。
工事のお金 竹斎をはじめ、村の人びとがきょう力して出しました。
    射和の竹川家・国分家・山本家などが中心になって
    やりくりをして、まにあわせました
米づくり 約26ヘクタールの新しい田をひらくことができるようになったといいます。


今の射和池のようす

今の射和池のようす



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