つづいて、竹斎が中心となり、前からある「下池」=今の神山池(こうやまいけ)が土やすなでうまり、ていぼうがこわれていたのでしゅうりをおこないました。 これで新しい上池と、以前(いぜん)からの下池とがともに使(つか)えることになりました。