江戸時代の終わりごろ、日本は200年あまりの鎖国(さこく)から目覚め(めざめ)ました。このころ欧米(おうべい)の国々は、近代的な国づくりを進めていて、日本はおくれをとっていました。 そこで、国の力をつけるために産業(さんぎょう)をさかんにし、生産した物を外国へ輸出しました。その主役が生糸(きいと)であり、ついでお茶だったのです。
鎖国:外国と商売をしたり、行き来したりすることを禁止すること
また、産業だけでなく、教育や文化の発展(はってん)にもたいへん力をつくし、横浜市の教育長をつとめたり、アメリカと太平洋をむすぶ、太平洋海底電線(たいへいようかいていでんせん)を作ったりしました。
横浜元町の「大谷嘉兵衛商店」の絵