6 地いきの発てんにつくした人々

4、大谷嘉兵衛(おおたにかへえ)

大谷嘉兵衛とお茶

 江戸時代の終わりごろ、日本は200年あまりの鎖国(さこく)から目覚め(めざめ)ました。このころ欧米(おうべい)の国々は、近代的な国づくりを進めていて、日本はおくれをとっていました。
 そこで、国の力をつけるために産業(さんぎょう)をさかんにし、生産した物を外国へ輸出しました。その主役が生糸(きいと)であり、ついでお茶だったのです。

 鎖国:外国と商売をしたり、行き来したりすることを禁止すること


[嘉兵衛の行ったこと]
  • 横浜の海岸通りに製茶売込業(うりこみぎょう)[お茶のお店]を開きました。
  • 明治時代に入って、質(しつ)の悪いお茶がたくさん出回るようになったので、お茶の品質向上(ひんしつこうじょう)のため、製茶共進会(きょうしんかい)を開き、大いに成功(せいこう)しました。
  • 明治37年、アメリカのお茶に対する関税(かんぜい)の撤廃(てっぱい)をマッキンレー大統領に会って実現(じつげん)しました。
  • ふるさとの川俣村をはじめ松阪地域(ちいき)でもお茶を作らせ、松阪港を築(きず)き、全国へ運ばせました。また、全国的にお茶の栽培(さいばい)を広めました。
  • こうしたことから「日本の製茶王」とよばれるようになりました。
 関税:外国から輸入する品物に、税金をかけること

 また、産業だけでなく、教育や文化の発展(はってん)にもたいへん力をつくし、横浜市の教育長をつとめたり、アメリカと太平洋をむすぶ、太平洋海底電線(たいへいようかいていでんせん)を作ったりしました。



横浜元町の「大谷嘉兵衛商店」の絵


松阪市飯南茶業伝承館(いいなんちゃぎょうでんしょうかん)

飯南茶業伝承館 茶業がさかんになるように、また、茶を作る技術(ぎじゅつ)と歴史の伝承を目的に平成9年度に完成した茶業伝承館は、実際に製茶(せいちゃ)できる35キロラインの製茶工場をそなえています。展示室(てんじしつ)には、手もみ茶用の「ほいろ」をはじめ、お茶にかんするさまざまな道具(どうぐ)を展示し、予約(よやく)すれば手もみ茶体験(たいけん)もできます。

 ほいろ:火にかざして茶の葉をかわかしたりする道具
 

<< HOME <<5章もくじ  
26
 
もどる