6 地いきの発てんにつくした人々

5、大谷嘉兵衛(おおたにかへえ)

大谷嘉兵衛の年ぷ (年れいは数え年です)
西暦
(せいれき)

(とし)
おもなできごと
1844年
1
12月22日伊勢国飯高郡谷野村(今の松阪市飯高町宮本)に生まれる。幼名は籐吉(とうきち)。
1852年
9
谷野村の菩提寺(ぼだいじ)・長楽寺に通い、読み書きそろばんを習う。
1862年
19
隣村(となりむら)の森出身、小倉籐兵衛(おぐらとうべえ)の横浜北仲通りの「伊勢屋」に奉公、 製茶貿易の仕事につく。
1867年
24
伊勢屋を出て、スミス・ベーカー商会の製茶買入方(かいいれがた)に雇(やと)われる。
1868年
25
籐吉を嘉兵衛と改める。横浜の海岸通りに製茶売り込み業を開く。
1872年
29
維新(いしん)後、茶の製品が粗悪(そあく)となったため、製茶改良(かいりょう)会社を設立(せつりつ)。
1879年
36
横浜で初めて「全国製茶共進会」が開かれ、審査長(しんさちょう)となる。
1889年
46
横浜市会議員に当選し、翌年(よくねん)議長となる。
1899年
56
11月、アメリカ大統領マッキンレーと面会し、日本茶への高い関税の撤廃を陳情(ちんじょう)する。
1907年
64
貴族院議員(きぞくいんぎいん)に選ばれる。勳三等(くんさんとう)に叙(じょ)せられる。
1933年
90
2月3日横浜にて亡(な)くなる。


 

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