6 地いきの発てんにつくした人々

5、蒲生氏郷(がもううじさと)

松坂城跡(まつさかじょうあと)で見つけたもの

天守台(てんしゅだい)にある石
天守台(てんしゅだい)にある石
天守(てんしゅ)があった所には、写真のような石がありました。これは、石棺(せっかん)という、古い時代に使われた石のかんおけです。城(しろ)をつくるためには、たくさんの石や木が必要(ひつよう)だったことがわかります。

本丸には、「松阪開府之碑(まつさかかいふのひ)」と書かれた石碑(せきひ)がありました。石碑のうらには、蒲生氏郷(がもううじさと)など、松阪の歴史にかかわりの深い人のことが書かれています。
「松阪開府之碑」(まつさかかいふのひ)
「松阪開府之碑」(まつさかかいふのひ)

 

 

 

 

※石碑…文字や文がきざまれた石


天守台(てんしゅだい)にある石
城の入口にある石碑(せきひ)と石垣(いしがき)
石垣(いしがき)は、「野面積み(のずらづみ)」という自然(しぜん)の石をそのまま活(い)かした積(つ)み方で、つくられています。水はけがよく、がんじょうな石垣は松坂城(まつさかじょう)の見どころの一つです。

ななみさん
ななみさん
上の写真の石碑には、
蒲生氏郷が町を「松坂」と名づけて、松阪発展(はってん)の基礎(きそ)をきずいたと書いてあったよ。
蒲生氏郷は、どんなことをしたのだろう。

 


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