6 わたしたの住んでいる県

  3、世界とつながる地いき
ライン

(1)世界に広がる人とのつながり

@ 三重県とつながりのある世界の国々

(エ)松阪市と深いつながりがあるホイアン市(ベトナム)

 江戸時代から交流が続いている松阪市とホイアン市は、平成25年に、「観光(かんこう)交流(こうりゅう)協定(きょうてい)」を結びました。毎年8月に開かれるホイアンフェスティバルには、歴代の市長、副市長が参加し、ホイアン市の幹部(かんぶ)も何度か松阪市を訪(おとず)れています。また、伊勢志摩(いせしま)サミットが行われた際さいは、第一小学校の子どもたちとの交流も行われました。


たくみくん
なぜ松阪市とホイアン市は、つながりがあるのだろう!?
第一小HP
http://www.mctv.ne.jp/~iti2es/2016/201605.html
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そこには、ある人物が関係しているらしい。 0
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みさきさん

角屋かどや七郎しちろ兵衛べえ

1632年、22歳(さい)で安南国(現在(げんざい)のベトナム)に渡わたり、貿易(ぼうえき)を始はじめました。その後、ホイアンの日本人街の長にもなりました。「柳条布(りゅうじょうふ)」というストライプ模様(もよう)の木綿(もめん)織物(おりもの)や砂糖(さとう)など、珍しい(めずらしい)ベトナムの産物(さんぶつ)が、松阪にもたらされたそうです。柳条布は、松阪(まつさか)木綿(もめん)の代表的(だいひょうてき)な図柄(ずがら)である「松坂(まつざか)嶋(しま)」となったと言われています。江戸をはじめ全国で売られ、松阪商人が活躍かつやくしました。鎖国(さこく)により日本に帰国できなくなった後も、松阪に残(のこ)った一族と連絡(れんらく)を取り続け、来迎寺や伊勢神宮などにも多額(たがく)の寄進(きしん)をしたと言われています。
かどやしちろべえ くようひ
角屋七郎兵衛供養碑
(白粉町来迎寺)
 角屋七郎兵衛供養碑

その他にも・・・
当時の日本風の建物が残(のこ)っていたり、伊勢(いせ)うどんが由来(ゆらい)といわれている麺(めん)料理(りょうり)があったりします。

ホイアン市旧市街(きゅうしがい)
[日本人街(にほんじんまち)]

ホイアンの名物料理「カオラウ」

 

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