6 地いきのはってんにつくした人々

5、蒲生氏郷(がもううじさと)


(6)氏郷(うじさと)と茶の湯

    ※茶の湯…お湯をわかしお茶をたててのむこと
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0  氏郷(うじさと)は、茶の湯などの文化を愛(あい)した人でもあり、千利休(せんのりきゅう)という茶の湯の名人とも親しくつきあいました。
 1591年に、千利休が豊臣秀吉(とよとみひでよし)の怒(いか)りにふれて、切腹(せっぷく)を命じられました。そのときに氏郷は、千利休の息子である千少庵(せんしょうあん)を会津にあずかりました。
 そして、のちに千少庵の孫(まご)たちが、「三千家(せんけ)」とよばれる3つの流派(りゅうは)をおこすことになります。このことから、氏郷は「千家の恩人(おんじん)」といわれています。
 ※切腹…自分で腹(はら)を切って死ぬこと
 ※流派…やり方のちがいによってわかれたもの
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みさきさん

 松坂城の入口にある「松阪城跡」の文字は、千家の子孫(しそん)が書いたものです。
松阪城跡(まつさかじょうあと) と書かれた石碑(せきひ)
松阪城跡(まつさかじょうあと)
と書かれた石碑(せきひ)
しゅんくん

 


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