6 地いきのはってんにつくした人々

5、蒲生氏郷(がもううじさと)


(4)氏郷(うじさと)の城下町(じょうかまち)づくり

0
0  氏郷(うじさと)は「四五百森(よいほのもり)」とよばれる丘(おか)に新しい城(しろ)をきずきました。城をつくるため、当時の人びとは毎日のようにはたらいたといわれています。城(しろ)3年ほどで完成(かんせい)し、氏郷は新しい城下町(じょうかまち)を「松坂」と名づけました。
 一説では、氏郷は「松」が好きだったことや、当時治めていた「松ヶ島」の地名の一部の「松」を町の名前としてとった。そして、当時仕えていた豊臣秀吉の町であった大坂の「坂」をとって、「松坂」となったといわれている。
0
みさきさん
氏郷は「松坂」と名づけましたが、1889年に「松阪」になりました。
 氏郷は、松阪の町を発展させるために、さまざまなことをおこないました。
 伊勢街道(いせかいどう)が城下町(じょうかまち)を通るようにしたり、「楽市楽座(らくいちらくざ)」といって、だれでも自由に商売ができるようにしたりしました。
 また、氏郷はふるさとの日野(ひの)や伊勢大湊(いせおおみなと)から有力な商人を呼びよせました。いまも松阪にのこる「日野町(ひのちょう)」や「湊町(みなとまち)」は、これらの人たちが住んだ場所です。
 氏郷の町づくりは、松阪の発展につながりました。

※伊勢街道…人びと伊勢神宮(いせじんぐう)におまいりするために通る道
 湊町(みなとまち)の町名


湊町(みなとまち)の町名
 湊町(みなとまち)の町名
あやかさん
あやかさん
 

 


<< HOME <<6章もくじ  
34
 
もどる