秋葉山(あきばやま)の小高いおかに「射和上池(いざわかみいけ)」の碑(ひ)があります。むかし、ため池をつくった人びとの、とても苦ろうしたことが書かれています。 中心になって池をつくった竹川竹斎(たけがわちくさい)の子孫(しそん)のかたのおうちが、碑の近くにあるというので、そこへ行っていろいろなお話を聞いてきました。
むかし、射和(いざわ)・阿波曽(あわそ)は、谷間から流れるわずかな水で、田や畑(はたけ)をつくっていました。そのため、人びとは日でりがつづくと、田や畑のしごとができなくなり、苦しい生活がつづきました。そのころ全国でも大ききんがおそい、この地方(ちほう)でも食べものがなくて死(し)ぬ人がたくさんでました。 というのが、住(す)んでいる人びとみんなのねがいでした。 そこで、竹川竹斎を中心とする村の人たちは、なんとかして、大きなため池をつくることができないだろうかと考えました。